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秋田家庭裁判所大館支部 平成4年(少ロ)1号 決定 1993年1月22日

本人 K・S(昭50.8.31生)

主文

本人に対し、金17万6000円を交付する。

理由

1  当裁判所は、平成4年12月25日、本人に対する平成4年少第53号強姦保護事件において、送致事実が認められないことを理由として、本人を保護処分に付さない旨の決定をした。同事件の記録によれば、本人は上記送致事実と同一の被疑事実に基づき当裁判所において観護措置決定を受け少年鑑別所に収容されたことが認められる。

2  そこで、本人に対する補償の要否について検討すると、上記保護事件の記録によれば、本人は、上記送致事実と同一の被疑事実で、平成4年5月14日当裁判所において観護措置決定を受けて少年鑑別所に収容され、その後同年6月4日上記観護措置が取り消され、少年鑑別所から退所したものであり、その身柄拘束の日数は、合計22日間であることが認められる。

また、本人には家庭裁判所の調査若しくは審判などを誤らせる目的での虚偽自白の存在など、法3条各号に規定する事由は認められない。

したがって、少年の保護事件に係る補償に関する法律(以下「法」という。)2条1項により、上記身柄拘束日数22日につき、補償をすべきである。

3  次に、補償金額について検討すると、上記保護事件の記録及び家庭裁判所調査官の調査によれば、本人は、上記観護措置決定当時、秋田市内の○○株式会社において、作業員として住込みで働き、月収約10万円(家賃、食費、光熱費等を差し引かれ、手取りは約3万円)を得ていたこと、上記観護措置が取り消された後である平成4年7月に上記会社を退職し、同年9月から現在まで酒類のディスカウントショップにおいて店員として稼働していること、捜査段階で当初否認し、その後一旦は自白をしたものの、家庭裁判所調査官の調査から再び否認したことが認められ、これにその他上記記録によって認められる本人の年齢、生活状況等の諸般の事情を併せ考慮すると、本人に対しては1日8000円の割合による補償をするのが相当である。

4  よって、本人に対し、補償の対象となる全期間につき、上記割合による補償金合計17万6000円を交付することとし、法5条1項により主文のとおり決定する。

(裁判官 酒井正史)

〔参考〕 保護事件決定(秋田家 平4(少)53号 強姦保護事件 平4.12.25決定)

主文

この事件については、少年を保護処分に付さない。

理由

1 本件送致事実の要旨は、「少年はA、B、C、D、E、F、G、H及びIと共謀のうえ、平成3年4月中旬の午後零時ころ、秋田県北秋田郡○○町○○字○○××番地所在のA宅において、たまたま遊びに来ていたJ子(当時16歳)に対して劣情を抱き、強いて同女を姦淫しようと企て、抵抗する同女の腕を引っ張り2階8畳居間に無理やり連れ込み『やらせろ。』などと申し向け、『やめて、やめて。』などと哀願する同女を仰向けに押し倒しその上に乗りかかり、共同して同女の手足を押えつけ、同女の頭から毛布をかぶせるなどしてその反抗を抑圧して、強いて順次同女を姦淫した」というものである。

2 少年は、本件送致事実を調査段階から否認し、当審判廷においても一貫して、本件犯行時に犯行現場にはいなかった旨供述して否認しているので検討する。

(1) 少年と本件犯行とを結びつける証拠について

本件において、少年と本件犯行とを結びつける証拠としては、被害者及び共犯者らの司法警察員に対する各供述並びに少年の司法警察員に対する供述があるだけで、客観的証拠はない。そこで、まず、被害者及び共犯者らの司法警察員に対する各供述についてそれぞれ検討する。

<1> 被害者J子の司法警察員に対する供述について

被害者は、平成4年2月18日付けの司法警察員に対する供述調書によれば、本件犯行の現場に、A、B、C、D、E、G、F、H、K、S、Iの10名がいた旨供述し、少年の名前が上がっている。しかしながら、本件犯行時から上記供述調書作成時まで、約10か月経過しており、また、D、L、M、N、O、P及び少年の司法警察員に対する各供述調書によれば、さらに、その間に本件同様の行為が数回あったことが認められ、これらのことからすると、被害者自身記憶が曖昧となってしまっていることが窺われるうえ、被害者の上記供述の中には、実行行為の大部分は毛布を被せられていたため判らなかったとはいえ、その前後の具体的な行動について少年の名前は全く出てこないこと、司法警察員作成の平成4年1月8日付け捜査報告書によると、本件犯行は被害者の友人であるQの供述から発覚したものであるが、上記捜査報告書中には、上記Qが被害者からの伝聞ではあるが、本件犯行時に犯行現場であるA宅にいた者として、A、D、C、B、R、E、Pらの名前を上げているが少年の名前はないこと、さらに、捜査機関はその後も被害者とはなかなか連絡がとれず、平成4年2月17日になってやっと被害者から被害届が出され、その被害届や同人の司法警察員に対する同月18日付け供述調書の中に少年の名前が出てきているが、この時までに捜査は相当進展し、既に同月13日に共犯少年らからの供述は得ていること等からすると、少年の名前が被害者から出たものかどうか疑わしく、被害者の上記供述調書中、本件に少年が関与していたとの部分は、容易に信用できない。

<2> 共犯少年Cの司法警察員に対する供述について

Cの司法警察員に対する平成4年2月13日付け供述調書には、本件犯行時、犯行場所に少年がいた旨の記載があり、さらに、「そうこうしているうちにK.S、H、G、A等が、私達が居る8畳間に入って来たのです。」、「そして、K・S、H等が、私と一緒になり、J子が着ていた上の下着を強引にぬがせてくれたのです。」、「いやがるJ子をBが強姦している時に、GとK.Sの2人が、J子の腕を押さえつけておりました。」、「その時も、いやがるJ子をGとK・SがJ子の腕等を押さえつけておりました。」との記載がある。ところで、Cは上記供述調書において、事件当日の経緯として、友人を○○駅まで迎えに行ったのはBとHである旨供述しているが、H及びFの司法警察員に対する各供述調書によると、事件当日○○駅まで友人を迎えに行ったのはC、H及びFであることが認められ、これと異なるCの上記供述調書の内容はかなり曖昧なものであると言わざるを得ない。しかも、Cは当審判廷において、少年が、本件犯行時、犯行場所にいたという記憶はなく、共犯者とされている中で全く記憶の無いのは少年だけであるとの証言をし、上記供述調書中に、少年の具体的な行為についての供述があることについては、「現在の記憶では、少年に関してそのような事実についての記憶はありません。取り調べの時は焦っていたし、『どうでもいいや。』と思って適当に話してしまいました。」と述べており、上記のとおり、上記供述調書の内容がかなり曖昧なものであること、Cが、本件の事実で少年院送致となったが、既に矯正施設から仮退院し、虚偽の供述をする特段の事由がないこと、当審判廷において真摯に供述していたこと等からすると、Cの当審判廷における上記供述は十分信用できるものであり、上記の供述調書中、本件に少年が関与していたとの部分は信用し難い。

<3> 共犯少年Dの司法警察員に対する供述について

Dの司法警察員に対する平成4年2月13日付け供述調書(11枚綴りのもの)には、本件犯行時、犯行場所に少年がいた旨の記載があり、さらに、「K・SとHの2人は見ていただけで、セックスはやりませんでした。」との記載がある。また、同人の同月25日付け供述調査(11枚綴りのもの)添付の図面には少年の名前の記載がある。ところで、Dの司法警察員に対する同日付け供述調査(9枚綴りのもの)には、事件当日の経緯として、本件犯行後、A宅を出て、HとGを除いて全員が○○中学に行った旨供述しているが、この事実は他の共犯少年の誰も供述していないことであり、Dの上記供述調書の内容もまたかなり曖昧なものであると言わざるを得ない。しかも、Dは当審判廷において、少年以外の他の共犯少年A、B、C、F、H、G、E、Iについては記憶にある旨述べながら、「少年はいなかったと思います。」と証言し、上記供述調書中に、少年の名前が出ていることについては、「取調官から、『K・Sがいたんじゃないか?』と聞かれて、はっきりしなかったのですが、『いた。』と答えてしまったのです。」と、また、上記添付図面に少年の名前の記載があることについては、「取調官から、『大体でいいから描いてくれ。』と言われてあやぶやなままに描きました。はっきりとした記憶に基づいて描いたものではありません。」とそれぞれ述べており、上記のとおり、上記供述調書の内容がかなり曖昧なものとなっていること、Dが、本件の共犯者として少年院送致となったが、既に矯正施設から仮退院しており、虚偽の供述をする特段の事由もないこと、当審判廷において真摯に供述していたこと等からすると、Dの当審判廷における供述は十分信用できるものであり、上記各供述調書中、本件に少年が関与していたとの部分は信用し難い。

<4> 共犯少年Hの司法警察員に対する供述について

Hの司法警察員に対する平成4年2月13日付け供述調書には、本件犯行時、犯行場所に少年がいた旨の記載があり、さらに、「私の知るところでは、右手を私以外にC、左手をE、右足を私以外にB、左足をK・Sが押さえたはずです。」との記載がある。また、同供述調書添付の図面には少年の記載がある。しかしながら、Hは当審判廷において、Aの家に着いた時に少年がいたかとの質問に対し、「少年はいなかったと思います。少年が後から来たという記憶も殆どありません。」と、また、警察の取調べでは少年についてどう聞かれたかとの質問に対し、「『K・Sはいたか。』と聞かれて、『あまり分からない。』と答えたら、いたことにされました。」とそれぞれ供述し、上記供述調書中に、少年の具体的な行為についての供述があることについては、「取調官に、少年がいたとしたら何をしていたかと間かれて、左足を押さえていた人の記憶がなかったので、そこに少年を当てはめられたのです。」と、また、上記添付図面に少年の名前の記載があることについては、「取調官に『少年がいたとしたらどうか。』『さっき言ったとおりに書け。』と言われて書いたのです。」とそれぞれ述べており、Hが、本件の事実で既に保護観察処分となっており、虚偽の供述をする特段の事由はないこと等から、Hの当審判廷の供述は十分信用できるものであり、上記各供述調書中、本件に少年が関与していたとの部分は俄かには信用し難いものがある。

<5> 共犯少年Aの司法警察員に対する供述について

Aの司法警察員に対する平成4年2月13日付け供述調書には、本件犯行時、犯行場所に少年がいた旨の記載がある。しかしながら、上記供述調書の「私は友達や友達を通して声をかけて友達を家に集めたもので当日は結局8人位の友達が来てあったものであり、これらのメンバーは当時で言えば、私と同じ○○高校1年生のC、D、F、H、E、○○工業1年生のB、○○農林高校1年生のD、K.Sでありました。」というような共犯者を羅列する部分には少年の名前が出てくるが、具体的な犯罪行為の部分には少年の名前は無いこと、また、上記供述調書には、他の共犯少年らの司法警察員に対する各供述調書によると本件に関与していることが認められるG及びIの名前がないうえに、本件に全く関与していないPの名前が上げられていること、A自身、同人の上記供述調書において、「なお、このように私はJ子に対し何回も強姦しているため、その時の友達のメンバーにくい違いがある可能性もある」旨述べていること等からすると、上記供述調書中、本件犯行時、犯行場所に少年がいた旨の記載がある部分は、曖昧な記憶に基づくもので、俄かには信用し難いものがある。

<6> 共犯少年Bの司法警察員に対する供述について

Bの司法警察員に対する平成4年2月25日付け供述調書(11枚綴りのもの)には、本件犯行時、犯行場所に少年がいた旨の記載がある。しかしながら、約10日前の同人の同月13日付け供述調書においては、「この時、○○町○○字○○のK・S君がいたのか忘れてしまいました。」と述べていたこと、記憶喚起をさせたと思われる上記同月25日付け供述調書においても、少年についての具体的行動の記載が全く無いこと、同人の同月26日付け供述調書(6枚綴りのもの)添付の図面に少年の名前が出ていないこと等からすると、上記供述調書に、本件犯行時、犯行場所に少年がいた旨の記載がある部分は、曖昧な記憶に基づくもので、これもまた俄かには信用し難いものがある。

<7> 共犯少年Eの司法警察員に対する供述について

Eの司法警察員に対する平成4年2月13日付け供述調書(21枚綴りのもの)には、本件犯行時、犯行場所に少年がいた旨の記載があり、さらに、「僕は誰かに、E、J子の足押えれと言われ、僕がJ子の右足を、K.Sが左足を押えた」との記載がある。また、同供述調書添付の図面には少年の名前の記載がある。しかしながら、同供述調書には、事件当日の経緯として、Eは、本件犯行前自転車に乗り、C、Iと共にA宅へ向ったが、途中○○駅まで友人を迎えに行ったとあるが、Hの当審判廷における供述、H及びFの司法警察員に対する各供述調書によると、E、F及びHが○○駅まで友人を迎えに行っていることが認められ、本件記録中他にIが○○駅に行つたとする供述は全くないこと、同人の同月25日付け供述調書には、同人がJ子の右足を押えていた状況を詳しく述べているにもかかわらず、少年の名前が全く出てこないこと等からすると、同人の少年についての供述は曖昧で、かつ、不正確なものと言わざるをえない。

以上によると、被害者及び共犯少年C、同D、同H、同A、同B、同Eの司法警察員に対する各供述調書中、少年が本件犯行時、犯行場所にいたとする部分は、いずれも信用できないものである。そればかりか、他の共犯少年であるF、G、Iの司法警察員に対する各供述調書には、少年の名前は出てこず、かえって、Iの当審判廷における供述によると、多少曖昧な点はあるが、「少年は、いなかったと思います。」と証言し、結局、当審判廷で証言した共犯少年C、同D、同H、同G、同Iは、いずれも少年が本件犯行時、犯行場所にいなかった旨証言し、特にGは、本件犯行時少年はいなかった旨断言し、いなかったことにつき自信があるとまで証言している。

(2) 少年の自白の信用性について

そこで次に、少年の司法警察員に対する犯行を認める供述調書(以下「自白調書」という。)について検討する。

<1> 自白内容の不自然さ、不合理さ

当初の自白調書(平成4年2月13日付け)によると、少年は、本件犯行現場にA、B、E、I、F、C、D、H、Gの他、Rもいた旨述べているが、共犯少年らの司法警察員に対する各供述調書をみても、本件犯行にはRの名前は全く出てきておらず、Rが本件犯行に関与していないことが明らかであり、司法警察員作成の平成4年2月28日付け捜査報告書においても、「R本人や他の共犯者に確認したところ、当日共犯者A方でJ子を強姦した中に、Rはいなかったとのことであり、この点につき再度被疑者K.Sに確認したところ、『Rがいたかどうか自信がない。もしかすれば、他の時のことを勘違いして話したものと思う』とのことであったもので、該犯行についてはRの供述及び他の共犯者の供述どおり、Rの介入はなかったものと認められる」とあるとおり、少年の供述には、事実と明らかに異なる供述がある。

また、自白調書によると、少年が事件当日午前9時5分前ころ○○駅に着くと、既にH、C、Fが来ており、当日来ることとなっていたAの友人を待ったところ、9時過ぎの下りの汽車に乗っておらず、結局来なかったが、その時被害者も自転車に乗って○○駅に来ており、その時Cが被害者と何か話し、その後、少年らはA宅に向い、被害者も後からついてきた旨述べている。しかし、H、C、Fの司法警察員に対する各供述調書によれば、確かにH、C、Fは当日○○駅に行っているが、少年に出会った旨の記載は全く無く、被害者に出会った旨の記載も全くないことからすると、少年の供述は事実と異なり、不自然であると言わざるを得ない。

さらに、自白調書によると、少年は、BがJ子を強姦している途中で、「Bに『手放してもいいか』と聞いたところBも『いい』と言ったので、私はJ子のつかんでいた手を放し、G、Hと一緒に隣のAの部屋に戻ったのです。」と述べている。しかし、Gの司法警察員に対する供述調書によると、Gは、B、A、F、Cが順次J子を強姦するのを見ており、「Cが終った後は、誰もやる人がいなかったので、J子を裸のままにして、私達はすぐAの部屋に戻り、テレビや音楽を聞き午後3時頃Aの家を全員で出たのです。」と供述し、また、Hの司法警察員に対する供述調書によると、Hは、B、C、Aが順次J子を強姦するのを見ており、「3人がJ子を犯し終わってのことですが、しばらくJ子は起き上がらず、自分一人で服を着たのです。この時J子の目は赤く、やっぱり泣いていたんだなあと思いました。」と供述していることからすると、GとHはほぼ最後まで犯行現場にいて、犯行状況を見ており、Bが強姦している途中で、G、Hと共に部屋を出たという少年の供述は、これもまた事実と異なると言わざるを得ないうえ、このような状況の時に少年ら3人が一緒に出てきて別室にいたというのも不自然である。

これらの事実だけからみても、少年の上記各供述は、あまりにも事実と異なる点が多く、その内容は不自然であり、不合理であると言わざるを得ない。

<2> 自白に至る経過

証人S、同T、同U及び少年の当審判廷における各供述によると、平成4年2月13日の第1回目の取調べは、午前10時近くから始められ、昼食時間を1時間とり、午後6時ころまで続けられたこと、少年は事実の告知に対し、「そういうことがあったのは聞いているが、自分は現場にいたことはない。」「夏前に相撲部の物置小屋で8人といた時、A、Bがセックスした。自分はしなかった。」と供述し、当初本件については否認していたこと、少年の取調官は午後の取調べの前に他の取調官と打合せをして、他の共犯少年たちも少年がいたと供述していたようなので、それに沿って取り調べることにしたこと、午後の取調べで、取調官が「被害者も君がいたと言っているよ。」と説得し、少年は午後2時半ころようやく「いました。」と自供したこと、迎えに来た父親に対し、「悔しい。」とか「関係ないのに手を押えたり体を触ったことにされた。」などと言っていたこと、少年は翌日、学校で担任の先生に「自分は犯行現場にいなかったのに、言わないと帰さないといわれ仕方なく認めた。」と話したところ、先生は少年に対し、次の取調べの時にきちんと訂正するようにと言ったこと、同月25日の第2回目の取調べの時に、少年は取調官に対し、「やっぱり現場に行ってない。」と言ったが、聞き入れてもらえなかったこと、以上の各事実が認められ、また、取調べ状況について、少年は当審判廷において「警察では平成3年4月中旬のことを聞かれているのは分かっていました。僕は、当日は行ってないと言ったのですが、警察の人に、行っただろうと言われ、家に帰さないぞと言われて、記載のとおりの供述をさせられたのです。供述内容は、他の人から聞いた話と、別件のことを合わせてあります。」と述べている。

<3> 自白の評価

以上の取調べ状況等の各事実からすると、長時間にわたり取り調べられ、一旦は否認したもののなかなか受け入れてもらえず、しかも、本件後の類似の事件に居合せたため、これ以上否認しても受け入れてもらえないと考えたことも無理からぬことであり、このことに、少年が取調べ当時16歳の年少少年であり精神的に未熟であったこと、過去に非行歴は全く無いこと、上記の自白内容に対する疑問点等を併せ考えると、少年が取調官の鋭い追及や態度に精神的に動揺し、早くその場から逃れたい一心で、虚偽の自白をしたのではないかという疑いを払拭することができず、結局、自白調書の信用性に疑いが残るといわざるを得ない。

(3) 結論

以上のとおり、本件犯行については、本件記録に現われた一切の証拠資料を検討したが、少年が本件犯行現場にいて、犯行に加わったとの確信を得ることができなかったので、本件送致事実は証明がないことになる。

よって、少年法23条2項前段により少年を保護処分に付さないこととし、主文のとおり決定する。

(裁判官 酒井正史)

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